2009年12月31日木曜日
アルバニアの年末の風景
2009年12月18日金曜日
アルバニアにおける日本の活躍 (医療機材編)

k.k/NOA
2009年12月10日木曜日
2009年12月2日水曜日
独立記念日と解放記念日
実はこの1912年11月28日はオスマン・トルコ帝国からの独立を果たした日として重要なだけではなく、紀元前4世紀に古代ギリシャ人がイリリア人の土地であったこの地域に入植して来て以来、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン・トルコ帝国と言った大国に加え、常にヴェネチア人、スラブ人、アンジューなど侵略を受けてき、アルバニア人としての独立国を持ったことのなかったこの国が、アルバニア南部の港町ヴローラにて初めてアルバニアの国旗を掲げ、独立を宣言したという名誉ある日なのです。
したがってアルバニアでは『独立の日(Ditë e Pavarësisë)』とも 『旗の日(Ditë e flamurit)』とも呼ばれます。
一方、11月29日は1944年に第2次世界大戦が終了し、占領が終わった日として『解放記念日』として祝日になっています。
1939年からアルバニアに進軍したイタリア・ファシスト軍が1943年に連合軍に降伏すると、今度はドイツ・ナチス軍によって占領されていました。
1944年11月29日、パルチザンとソ連軍によって全土解放が行われ、この日を祝日としています。
2009年11月13日金曜日
ジェームス・ベルーシ氏

名前を知らない人も、顔は見たことがあるはず!!
実は彼は、アルバニア系アメリカ人です。
残念なことに、ほとんどアルバニア語は話せないそうです。
彼のお父さんが第2次大戦が始まる前の1934年に15歳の時にアメリカに移民しています。
一方、お母さんはアルバニア人2世として、アメリカで生まれています。
昨年もアルバニアでコンサートに出たり、大学で講演したりしていました。
そんな彼が、この秋から、アルバニアに3社ある携帯電話会社の一つ、“イーグル・モバイル”(トルコ系)の広告に起用されています。
日本でもお馴染みだった“ヴォーダフォン”も3社のうちの1社ですが、“ヴォーダフォン”の宣伝はいつも海外のノの引用&吹き替えなどで、しかもハイレベルの素敵CMですが、一方“イーグル・モバイル”は結構オリジナルで頑張っていて、私はこれはこれでいつも結構気に入っています。
例えば、ティラナの街のあちこちが出ているようなCMだったり。
「これはどこだ?あれはどこだ?あ、ここ知っている!」とか、しばしば釘付けになります。
そして今回ももちろん“イーグル・モバイル”はオリジナルで勝負。
このジェームズ・ベルーシ氏を起用しながら、実際にティラナのマザー・テレサ国際空港やティラナの街を映し出しています。
また作りも、結構好きです。
私自身アルバニア人でもないのに、愛郷心が湧いてきます。
YouTubeでお楽しみください。
http://www.youtube.com/watch?v=e9k6jhh09fw
2009年11月8日日曜日
英雄の街 クルーヤ

幼いころに強制徴用されイスラム式の教育を受け、オスマン帝国のベグとして軍隊を率いて1443年セルビアとの戦いに出ていましたが反旗を翻し、父親が領主を務めていたクルーヤに戻りアルバニアの領主たちをまとめ対オスマン帝国の為に戦い続けました。
彼の活躍はヨーロッパつまりキリスト教の各地で讃えられ、各地で彼の伝記が出版され、騎馬像が建てられています。
そんな町クルーヤは現在も中世の町並みを残し、羊毛織物の帽子やバッグ、絨毯、そして木工や石膏細工、銀・銅細工などが作られ、また販売されています。
小さな町ですが、戦略的にも恵まれたサリ・サルティク山の斜面の650mの所に位置し、アドリア海やアルバニアの各地まで見渡せる、中世の雰囲気の残る味わい深い町です。
城塞内にあるスカンデルベグ博物館は彼の生きた時代背景やまつわる物などの展示が充実していますし、18世紀の民家を利用した民族博物館とその名物おじいちゃんガイドも是非訪れたい所です。
マザーテレサ国際空港にも近く、ティラナからも1時間弱で来れるのでお土産選びにも観光客の方に人気の場所です。
2009年10月21日水曜日
アルバニア人の日本政府への期待
10月19日のニュースでとても誇らしいニュースが報道されていました。
ティラナ市内の中心部を東西に流れるラナ川の汚水が日本政府の支援により整備されるというのです。
ラナ川はティラナ市東部のダイティ山から流れてきますが、ところどころで、汚水が流れ込んでいます。
ティラナ市の下水システムを整備することで、このラナ川に汚水が流れ込むのを防ごうというプロジェクトだそうです。
報道によりますと、日本政府により下水システムに出資される金額は115億円におよび、今回は、プロジェクトの先駆けとなる調査にかかる12カ月分の12億円の契約をかわしたそうです。今回の下水システムの再構築で、さらに深く、そしてさらに広域に広げられるそうです。
プロジェクトの終結の暁には、ラナ川に注ぎ込まれる下水・汚水の状況は 見違えるほどに変わるだろう。そしてティラナは、整備された外観だけでなく、表面には見えない地下システムも整った、本物のメトロポリタンとなるだろう。 と、運輸大臣のソコル・オルダシ氏も契約締後の会見で語っていました。
ティラナ市民を悩ませていた、ラナ川の汚水。
これをきっかけに、ラナ川に対する人々の意識も変わっていくことを願っています。
2009年10月19日月曜日
マザーテレサの日

これを記念しまして、アルバニアではこの日を休日にしています。
*列福:カトリック教会において徳と聖性が認められ、聖人(Saint)に次ぐ福者(Beato)の地位にあげられることを言うそうです。
マザーテレサは本名ゴンジェ・ボヤジウといい、1910年8月26日に三番目の末っ子として生まれています。
*ゴンジェとはアルバニア語で蕾という意味です。
彼女は現在のマケドニア旧ユーゴスラビア共和国の首都スコピエで生まれていますが、当時のスコピエはオスマントルコ帝国領のコソボ州・ユスキュプという町でした。
洗礼を受けアグネスという名前をもらっています。
両親はアルバニア人で、父は実業家でしたがアルバニア独立運動の闘士でもあったようで、彼女8歳の時に亡くなっています。
両親はマケドニアに住むアルバニア人のカトリックであったが、当時この地方においてはアルバニア人にはイスラム教徒が多く、マケドニア地方にはマケドニア正教徒が多かったようです。
18歳で故郷のスコピエを離れて、修道女会に入り、27歳の時に終生誓願を宣立し、以後シスター・テレサとよばれることになったようです。
その後の活躍は周知の通り。
1979年にノーベル平和賞を受賞。
1991年には、優れない健康状態を押してテレサの念願であった故郷・アルバニアに最初の「神の愛の宣教者会」の支部を設立しています。1996年にはアメリカ名誉市民(過去6人しかいないようです。)
1997年9月5日に87歳で亡くなっています。
死後たった6年後の2003年10月19日に列福されていますが、これは驚くべき早さだそうです。
彼女の場合は生前から聖女の誉れが高かったため、例外的にすぐに行われたそうです。
*お客様にしばしば「彼女は何人か」と尋ねられます。出身地が現在のマケドニアなので、お答えするのは容易ではありませんが、彼女は以下のような言葉を残しています。
By blood, I am Albanian. By citizenship, an Indian. By faith, I am a Catholic nun. As to my calling, I belong to the world. As to my heart, I belong entirely to the Heart of Jesus.
2009年10月15日木曜日
アルバニアの気候<秋>
前日の月曜日(12日)まで日本からツアーのお客様が11名、さらに先週の日曜日(10月4日)まで15名様がアルバニア・マケドニアの旅にいらっしゃっており、時に雨に降られたりもしましたが、比較的お天気に恵まれていたので、この寒波がやってきたのがお客様をお見送りした後だったので、本当に良かったです。
アルバニアは日本の東北地方から函館あたりに相当する緯度に位置しながら地中海性気候の影響を存分に受けていますので、平野部では、想像されるほど寒くはありません。
しかし、この旅の気温の低下は、先週まで汗ばむような温かさでまだまだ上着なしで出かけていた現地の人々を驚かせました。
最低気温は10℃を切っていたようです。
このまま冬に突入するとは思えませんが、風邪など引かないように気をつけたいものです。
2009年10月1日木曜日
実りの秋
2009年9月30日水曜日
ジロカストラ民族音楽フェスティバル 2009
2009年6月10日水曜日
夏到来! 北部への旅!③ ~セシ Thethi 編 ②~
夏到来! 北部への旅!② ~セシ Thethi 編 ①~
共産主義時代にも休暇村として人々が訪れていたために、伝統や独自の魅力が残っていると言われています。
長い冬は雪に覆われていますので、セシを訪れる絶好の季節の到来に合わせて出発です!!
シュコドラから2時間半後に到着するボガという村までは新しく舗装された道が続きます。
それでも道中には車窓からは、岩肌の頂と、ちょうど芽吹き始めた緑をもつ山々の美しい景色が広がります。
しかし、その後道路は徐々に狭くなり、急こう配の舗装されていない九十九折りの道を進むことになります。
対向車があると、冷や冷やするような場面も・・・
あと少し下っていくとセシの村に辿りつきます。
1908年にイギリス人の作家エディス・ドゥルハム(Edith Durham)氏は、この村での滞在記録に“セシでの生活に惹きつけられていた。・・・世界中の他の何もかも忘れてしまった。私がもとの世界に戻る理由などないかの様に思われた。”と、本に書き残していますが、現在でも同様に、私たちの心を掴んで離しません。
人口の7割がイスラム教徒と言われているアルバニアですが、オスマン・トルコ勢力もこのような山奥深くまでは支配が及ばず、北部最大の都市シュコドラからこの地域一帯にかけては、キリスト教徒(中でもカトリック教徒)の方が主です。
セシ村を囲むようにアルバニアン・アルプスの高い山々がそびえ、またシャーラ(Shalë)地域の北部の標高700~950mのところに広大なセシ国立公園も広がります。
主に谷の底に地域はヤナギやハンノキが、中央部ではブナの森が広がります。
ブナの生息地より高いところは中東欧地域に見られるモンタナマツ(Mountain Pine)や、バルカン半島でもこの地域にしか見られないボスニアマツ(Heldreich Pine)が標高2300mあたりから生息しています。
何千種もの植物がセシ地域には見られますが、その中の約50種は絶滅の危機にある品種だそうです。
植物に関して言えば、オオバコ科のWulfenia baldaccii、フキ属のPetasites doerfleri、ユリ属のLilium albanicumなど、いくつかの品種がセシ地域や、モンテネグロやコソヴォとの国境を越えて横たわるこの山岳地域に特有のものだそうです。
一方、ヒグマ(Ursus arctos)、オオヤマネコ(Felis lynx)、ヤマネコ(Felis silvestris)、タイリクオオカミ(Canis lupus)、シャモア(Rupicapra rupicapra)などがセシを囲むように位置する山に生息していますが、オオヤマネコとヤマネコはアルバニアの高地においても特に珍しいです。
キツネ、イタチ、アナグマ、ヤブノウサギ、イノシシは広範囲に生息しており、急激に減少しているもののカワウソもアルバニア国内の多くの川で見られます。
セシ国立公園では豊富な種類の希少な鳥類も見られます。
シロエリハゲワシやイヌワシ、ヒメクマタカ、ノスリ、ハイタカなどの肉食性が見られ、もう少し標高の低い場所では南ヨーロッパで繁殖しアフリカへ越冬する優美なヨーロッパハチクイ、ヨーロッパアオゲラやアカゲラ、ヤツガラシ、ハマヒバリなどを筆頭に様々な鳥類を見ることができるそうです。
また、アルバニアやその隣国にではまだ見られますが東ヨーロッパでは激減しているキクガラシコウモリやユビナガコウモリ、その他世界的に絶滅危機にある種、南ヨーロッパにのみ生息する種などもアルバニアでは見られるそうです。
絶滅危機種のアポロウスバシロチョウ、ラージブルーなどの蝶や、ヘルマンリクガメ、両生類愛好家にはたまらない、ホクオウクシイモリやミドリカナヘビ、アカガエル、クスシヘビ、ハナダカクサリヘビなど爬虫類にも富んでいます。
夏到来!北部への旅!① ~シュコドラ Shkodra 編~

シュコドラは紀元前4世紀に設立されたと考えられており、そこはゲンティ王とテウタ王妃の支配していたイリリア人ラベアテ族の王国がありました。紀元前168年にローマの支配下に置かれ、商業的、マケドニア王国に対するローマの軍事的に重要な位置となるという、大変古い歴史を持っています。
入り口付近には紀元前4世紀のイリリア人時代の城壁部分も一部残っています。写真は1407~1414にヴェネチア人によって建てられたやぐら門。
7世紀前半にはビザンチン帝国のヘラクリウス帝によりシュコドラの町はスラヴ人に与えます。
15世紀にオスマン帝国の支配下に入るまでの、およそ8世紀近くもの間は、モンテネグロの公国に支配されたり、ヴェネチツィア共和国の支配下に入ったりもしました。
最終的にヴェネツィアとオスマンの間で行われた協議により、多くの人がこの町を離れ、見捨てられた町をオスマン帝国が引き継ぐことになります。 ロザファ城内にあった13世紀にさかのぼるカトリック教会も、1479年のオスマン帝国の支配以降はモスクに変換されたようです。
1773年から1853年までは、城塞の建つ丘の東側の、この鉛屋根のモスク(写真中央の白い建物。ミナレットはありません。)を中心にシュコドラの町が形成されていたようです。しかしこの頃から徐々に現在の街の広がる城塞の丘の北側へと機能が移って行きました。
18世紀のシュコドラの人々とロザファ城。
このような複雑な歴史をもつシュコドラのロザファ要塞からはとても美しい風景が一望できます。
手前がブナ(Bunë)川。奥に見えるのは隣国モンテネグロと国境を分つシュコドラ湖。
雪解け水が流れ込む春には、バルカン最大面積を誇ります。
他にもキリ川、シュコドラの街や平野に広がる周囲の村、そして遠くにはアルバニアン・アルプスの入り口となる山々が望めます。
*春から秋にかけての結婚式シーズンにはこんな風に記念撮影の幸せカップに出くわすかもしれません!!