2010年1月27日水曜日

レストラン “ODA”





その名も“小さな部屋”という名前のレストラン。


ティラナの中心スカンデルベグ広場から、エッテン・ベウ・モスク Et'hen Beu Mosqueの前の“ルイジ・グラクチ Luigj Gurakuqi”通りを東に10分程歩くと、左手に貴金属屋さんがありその路地を入ると、すぐに見つけることができます。



(“無名の戦士像”のある大きな交差点を越えますが、アヴニ・ルステミAvni Rustemi像のある市場Pazari i riの手前です。)


名前の通り小さなレストランですが、テーブルと椅子の西洋風な部屋と、ソフラと呼ばれる日本の卓袱台のような足の短いテーブルとソファーを備え、約450年続いたオスマントルコの影響を受けた、アルバニアの“食卓“の様子を伝えるとても素敵な部屋とに分けられています。


やはり、ここは多少食べにくくても、アルバニア風(トルコ風)のテーブルで、19世紀後期から20世紀初期の写真や伝統的な食器などを飾った、この興味深い特別な部屋で、アルバニア伝統料理を楽しみたいものです!








名前のODAという言葉アルバニア北部の方言ですが、お料理はラクロールLakror(パイ)に代表されるようにアルバニア南部のものも楽しめます。





親切なオーナーたちが、お勧め料理を選ぶのを助けてくれますよ。


自家製のラキを注文するのもお忘れなく!

2010年1月7日木曜日

世界遺産都市 ベラート

首都ティラナから車で約2時間半(バスだと3時間ほどかかります)の所に位置します世界遺産都市ベラート(Berat)に行ってきました。


ベラートはアルバニアの中央に位置し、標高2400mのトモリ山の麓にあります。この日もトモリ山の頂には雪が積もっているが、厚い雲の裂け目からのぞいていました。


ベラートは何世紀もにわたり様々な宗教・文化を持つ人々が共存してきた平和の象徴のような町だとも言われています。


ベラート城の多くの部分は13世紀に建てられてはいますが、その基礎は紀元前4世紀、アルバニア人の祖先であるイリリア人によって築かれていますし、要塞部分には42ものビザンチン時代の教会(その多くが13世紀建設)や、1417年から始まったオスマン帝国支配下に建てられたいくつかの教会も見られます。


また城内には、16世紀のアルバニア人イコン画家の巨匠“オヌフリ”の優れた数多くの作品などを所蔵する“オヌフリ・イコン博物館”もありますし、何と言ってもこの城内には2500年間絶えることなく人々が生活し、石畳で歩きにくくはありますが、代々ここに暮らす住民たちがここを行き交います。

ベラート城内の様子。 (上下とも)






また“千の窓の町”“浮かぶ町”と呼ばれ、オスマン帝国時代の町並みが特に美しく残るマンガレム地区とゴリッツァ地区はオスミ川を挟み対面するように位置します。一階部分は外敵に備えて防御化され、銃口を出すための小窓が付けられ、2階以上には地理上、得にくい太陽光を受けるための窓が備えら壁は漆喰で塗られた特徴的な建物が、互いに重なり合うように並んでいます。



ベラート城下に位置するマンガレム地区。



夕方にはライトアップもされ幻想的な雰囲気に。




オスミ川を挟んでマンガレム地区の対岸にあるゴリッツァ地区。





そして忘れてはならないのが、おいしいこの地方のお料理!! 皆さんも気に入られること間違いなしです!!



(右から時計回りに、①バルカン半島で一般的なパイのビュレック、②ブドウの葉でつつんだお米料理のヤプラック、③ほうれん草、ネギとトウモロコシ粉の生地の重ね焼きのピスピリティ。)


ペルシェシュ・メ・カポシュ・デティ(七面鳥と七面鳥の風味をしっかり吸い込んだパンのオーブン料理。アルバニアでもベラート周辺の郷土料理です。)