2010年5月13日木曜日

ブログのお引っ越し

ブログのお引っ越しをいたしました。

以降のアルバニアの様子に関しましては、こちらのサイトを覗いてみてください。

http://albaniaex.blog57.fc2.com/


今後ともよろしくお願いいたします。

2010年4月17日土曜日

世界遺産デチャニ修道院とペーヤ(ペーチ)総主教修道院 (コソヴォ)

ペーヤ(pejë)はコソヴォの首都プリシュティナから西へバスで凡そ2時間のところに位置し、モンテネグロ共和国とは2500mを越える山々で隔てられており、その山への入り口となる街です。



このペーヤはセルビア語でペーチ(Peć)と呼ばれる街で、セルビア正教会の総主教座が置かれている地として、セルビア人にとっては神聖な場でもあります。








ペーヤ(ペーチ)総主教修道院は、2500mを越える山々へと続くルゴヴァ峡谷の入り口に位置し、もともとは13世紀前半に大主教座として建てあれましたが、1346年セルビア正教会が独立教会となるのと前後して総主教座が置かれました。


*現在入り口の所でKFORのイタリア兵士により身分確認が行われます。
また、数年前まで修道女さんによって入場が拒まれることもあったようです。




さて、ペーヤ(ペーチ)の郊外にはもう一つ世界遺産に登録されている修道院があります。


デチャニ修道院です。



私が訪れたこの日イースターにあたる日曜日だったので入れるか心配していましたが、テレビ撮影のクルーにより一時期閉鎖されていましたが、大丈夫でした。



もしかしたら午前中はたくさんの信者さんがいたかもしれませんが、午後には数人のセルビア人の人たちや、観光客のグループ、宗教関係者の方たちが少しいる程度でした。










この手前でKFORのイタリア兵士にパスポートを預けます。




この門をくぐると、敷地内に入ります。




1327年当時セルビア一帯を支配していたステファン・ウロシュ3世によって建設が始められましたが、完成したのは1335年息子のドゥシャン王の治世でした。

またフレスコが完成したのは1350年だったそうです。







オスマン帝国の支配がはじまってからも、スルタン達により引き継がれ保護されていただけではなく、修道士たちに対する徴税に置いても特別な措置が取られていたそうです。

また肥沃なこの地域の農作地、ブドウ畑、果樹園の恩恵を受け、たくさんの寄付を受けることもできていたそうです。



教会中央にはステファン・ウロシュの霊廟もあり、彼はステファン・デチャンスキー(デチャニのステファン)としても知られています。

神秘的で、ヒーリング・パワーがあるとされる内部は多くの人々から尊ばれています。






ペーヤで忘れてはならないもう一つのモノ!
それはペーヤ・ビール


アルコール度数4.2%のもの、5.3%のプレミアムピルスナー、ノンアルコールでパイナップルの香りつきがありますよ!


2010年4月10日土曜日

レストラン ヴィラ・ロゴレッツィ Vila Logoreci


4月半ばですが、アルバニアでは藤の花が満開です。


日本でもおいしい中華料理屋さんがたくさんあるように、アルバニアにはおいしいイタリアンのお店がたくさんあります。


こちらヴィラ・ロゴレッツィさんは窯焼きのピザが人気で、夜だけでなく週末などにはランチを楽しむ人々でも賑わいます。




このお店の12月のクリスマス・デコレーションも素敵ですが、日本より少し早く楽しめるこの立派な藤棚も私たちの目を楽しませてくれます。


藤棚と言えば、もう一か所シェラトン・ホテルからも近い、アスィム・ゼネリ通りがエルバサン通りと交わるところの高い塀からもあふれんばかりの藤の花が見られます。


残念ながらこちらはレストランでもなければ公園でもないので、通り過ぎに拝見させていただくことしかできませんが。

2010年3月30日火曜日

春の旅


先日世界遺産のブトリント遺跡とジロカストラ博物館都市ツアーのお客様とご一緒させていただきました。
春は雪解け水が流れ、水は透明度を増しまたブルーにすら見えます。そして私たちを大変爽やかにしてくれます。



またブトリント遺跡はもともとブトリント湖とイオニア海に挟まれ、ラムサール条約で保護されている湿地帯に位置し、古代ギリシャ時代から2000年以上もの時代幅を持つ遺跡群は緑に囲まれ大変神秘的ですが、この時期野生の花々も同時に楽しめます。




一方ブトリントからはたったバスでゆったり1時間半の距離にありますが、内陸部に位置するジロカストラでは17世紀の雰囲気を残す石造りの独特な町並みだけでなく、ジロカストラ城塞からは未だ雪化粧をした山脈が望めます。









3月半ばから気候が良くなるアルバニアではいよいよ観光シーズンの到来と言った感じですが、まさにこの時期の旅は、歴史・文化だけでなく、自然、そして内陸部と海岸部でことなる気候をも体感していただけることでしょう。

2010年3月26日金曜日

イタリア系デパート Coin オープン




近年ティラナを中心に大きな都市やその郊外に外国系の特にイタリア系のショッピングモールやデパートがアルバニアには進出してきています。

ティラナに関しては郊外に3つほど大きなモールが建てられていましたが、3月13日にオープンしたイタリア系のhttp://www.coin.it/jsp/en/negozio/negozioid_115.jspCoinというデパートは立地条件も良く、日本人のお客様もよく利用されるシェラトン・ホテルやホテル・ログナー・エウロッパ・パルクからも徒歩3分ほどです。




朝9時から夜9時まで開いていますので、夕食の後などに少し覗いてみてもいいかもしれませんね。
4階にはカフェ・バーもあり、夏はテラス席で夕暮れにビールもいいかもしれません。

2010年3月15日月曜日

夏の日 (3月14日)

アルバニアでは3月14日を“春”の日ではなく、“夏”の日としてお祝いします。

事実、アルバニアの四季の変化は比較的日本に似通っているにも関わらず、春は短く、あっという間に夏がやってきます。

さてこの夏の日、今ではティラナを含め幾つかの都市でもお祭りが開催されたりしていますが、ティラナからバスで南へ1時間程のエルバサン(Elbasan)と言う町でお祝いするのが伝統的なようです。


エルバサンは、この日に食べるバロクメ(Ballokume)と言う巨大なクッキーを上手に作る伝統があるということもあり、お祭りも盛大にされてきました。



また街の近くにはオリーブの茂る丘がいくつかあり、その木々の間の斜面で日本のお花見の様に家族や友人と食べ物・飲み物を持ち寄ったり、バーベキューをしたり、輪になってダンスをしたりして、春の訪れを祝福します。






街の中も1年に一度この日だけは大混雑です。

不思議な事に、雨続きのアルバニア中部の冬ですが、3月14日は毎年快晴で暖かい陽気になることも、まさに春の訪れを感じさせます。

2010年3月9日火曜日

女性の日 (3月8日)


弊社スタッフたちも。




3月8日は国際女性です。


アルバニアでも男性からお花をプレゼントしてもらったりしてお祝いされています。


なかでも、ランチを、またはディナーを女性だけで出かけて、日中であろうが夜であろうがワインを飲みながら、みんなでダンスをしたりして盛り上がります。


赤ちゃんを抱えながらもダンスします。


レストランは本当に女性だらけです。



もちろん多くのレストランは予約が必要です。



比較的ウェイトレスよりウェイターの方が多いアルバニア。




飲んで踊っての女性の傍ら、男性のウェイターは大忙しです。




しかし本当に素敵な日です。


普段多くの時間を家の中で過ごす女性も、この日は外に出かけているようで、街で見かける女性の率はいつもより高く、みんなちょっとおしゃれしていて・・・



日本でも女性の日を是非とも祝いたいものですね。

2010年3月7日日曜日

先生の日(3月7日)


♪3月7日のうた♪
おぉ、大好きな先生
私たちはとってもあなたのことが大好きです
あなたは、私たちの2番目のお父さん、お母さんです
なぜなら、私たちに教えてくれるから。
先生の日を
祝いします
とってもきれいなお花を
プレゼントします。

*Këngë për 7 Marsin (アルバニア語オリジナル)
O mësues i dashur,
Ne të duam shumë,
Ti për ne je prind i dytë,
Se na edukon.
Festën e mësuesit,
Ne do ta festojmë,
Lulet më të bukura,
Ne do t'ja dhurojmë.

アルバニア語と言う言語は先祖であるイリリア人が3000年近く前から使っていた言葉を元に進化してきた言語ですが、アルバニアはその歴史上、長い間いくつもの大国に支配されてきましたので、16世紀になるまで文字で表記されてきませんでした。

また文字表記が始まってもそれは宗教教本やミサ典書などに使用されていただけで、文学がアルバニア語で書かれたり、学校教育がされることは許されてきませんでした。

しかし1887年3月7日、アルバニア南部の街コルチャ(Korça)で、ついにアルバニア語初の学校が始まり、たくさんの詩や文章が学ばれました。
これを記念して、3月7日を先生の日として、学生がお花を先生にプレゼントし、お祝いしています。


*この初の学校は男子校でした。
その4年後の1891年に同じくコルチャの街で女学校が始められました。

2010年2月20日土曜日

ピラミッドと平和の鐘






人々に“ピラミッド”の愛称でしたしまれているの建物は、1988年に共産党独裁者のエンヴェル・ホジャの生誕80歳を記念に(1985年に死去)、建築家であった娘のプランヴェラさんを中心とした建築家グループによって企画されました。
ティラナに舞い降りた飛行物体がイメージされており、アルバニアの近代建築の印象的な一例となりました。
しかし1991年に共産主義一党政治が倒れたのち、所蔵物も取り払われ、建物自身も破壊されてしまいました。
一部現在、アルバニア最大の民放テレビ局が利用し、また一部は皮肉にも(?)共産主義時代に政治犯として投獄されていたアルバン氏によって国際文化センターとして再生されようとしています。
一方その手前には、写真2枚目のような鐘とモニュメントが設置されています。
これは1997年のねずみ講破たん以降に暴徒化した国民たちによって使用されたカラシニコフなどの薬莢を、1999年北部アルバニアの子どもたちが集め作った“平和の鐘”と呼ばれているものです。
アルバニア語ではこの1997年の暴動を“市民戦争”と呼びますが、この時無意味に発砲された銃弾で多くの人(家の中で危険から逃れようとしようとしていた人でさえ!)が負傷し、子どもたちも危険で学校になど行けなかったと言う無秩序状態にアルバニア全土が陥りました。
平和の鐘は、大通りに面したピラミッドにありながらも、あまり目立ちませんが、是非一度訪れ鐘の下をくぐりながら、当時の様子を想像し、子どもたちの平和への願いを再確認しながら、その後のアルバニアの飛躍的な発展を再認識したいものです。

2010年2月19日金曜日

春の兆し

前回の記事で、雪が降ったことをお伝えしたばかりですが、今日は春の兆しです。


一昨日あたりから随分暖かくなり、最高気温は15℃くらいと過ごしやすくなってきました。


1988年に共産党独裁者のエンヴェル・ホジャの生誕80歳を記念して(彼自身は1985年に亡くなっていましたが)、エンヴェル・ホジャ博物館が建てられ、現在は博物館としては機能していないものの“ピラミッド”としてティラナの人々の待ち合わせ場所になっている広場で、昨日芝生の上に、なにか白いモノがたくさん落ちているのかのように見えたので近寄ってみると、小さな白い花が一面に咲いていました!


早いものです!


日も随分長くなりましたしね!


春が扉を叩いています。(アルバニアの人たちはこの表現を良く使います)


でも、完全に春が来るまでには“おばあさんplaka”(=そう簡単には春を迎えさせてはくれないモノの意。3月半ばの寒波や4月初めの雪など)が訪れるかな??


2010年2月15日月曜日

ティラナの雪


(写真:NOA)
先週の土曜日の朝、首都ティラナでも雪が降りました。
山がちなアルバニアでは、北部だけでなく南部でも山岳部では大雪となり、しばしば道路が通行止めになったりしますが、首都ティラナでは、今回の雪が7年ぶり(3年ぶりと伝えている記事もありますが)に降ったようです。
ですので、聖ヴァレンタインデーの前日であったこの日、ティラナの人々はこの素敵な空からのプレゼントを喜び、その美しさを楽しんでいました。

2010年2月10日水曜日

アドリア海の夕日





首都ティラナから車で35分、バスでも45分程西へ進むと人口20万のアルバニア第2の都市でありますドゥラス(Durrës)に到着します。

ドゥラスはアドリア海に面しており国内最大の港町でもあり、また街の南方には松林が広がるビーチが続いています。

ですので、そこでは7月・8月ともなると国内外から多くの余暇を楽しむ人々で、ビーチはもちろんのこと、レストランやバーが賑わい、毎晩ライブ・ミュージックが行われたりし、人口が倍に膨らむと言われています。

一方ドゥラスの歴史は古く、アルバニア人の先祖であるイリリア人がこの地域一帯には暮らしており、古代ギリシャ人たちにエピダミノスと呼ばれていたそうです。


町として機能し始めるのは、ギリシャのコルフ島から入植者がやってきた紀元前627年であると、ギリシャの歴史家のトゥキディデス(ペレポネソス戦争を記した“戦史”の筆者)が記しています。
また古代ギリシャ哲学者のアリストテレスによっても、この町社会システムが讃えられていたようです。

そんなドゥラスの街の中心部には、現在もローマ帝国支配時代の紀元後2世紀に建てられた西バルカン半島最大(収容人数1万5千人)の古代劇場や、15世紀のベネチア統治時代のベネチアン・タワー、そしてローマ浴場跡などが残っています。
また考古学博物館にはこの地域で見つかった貴重な品々が展示されています。

さて、そんな歴史ある街ですが、ドゥラスでは夏だけではなく、冬でも素敵な時間の楽しみ方ができるのです!!

首都ティラナだけではなく、もちろんドゥラスにもたくさんの素敵なカフェがあります。
海岸沿いに並ぶカフェで、アドリア海に沈む夕日を眺めながらゆっくり時間を過ごすのはいかがでしょう?

(注:今回は考古学博物館からさらに海沿いを北上し、シーフードで有名な“アラゴスタ”レストランを越え、さらに進んだところに位置する、その名も“Sunset”カフェからの写真ですが、ベンチアン・タワーや考古学博物館の近くのカフェ、またはドゥラスの中心部から離れて南下したビーチ沿い(徒歩では不可能)などのカフェやレストランなどからも楽しめます。)

2010年1月27日水曜日

レストラン “ODA”





その名も“小さな部屋”という名前のレストラン。


ティラナの中心スカンデルベグ広場から、エッテン・ベウ・モスク Et'hen Beu Mosqueの前の“ルイジ・グラクチ Luigj Gurakuqi”通りを東に10分程歩くと、左手に貴金属屋さんがありその路地を入ると、すぐに見つけることができます。



(“無名の戦士像”のある大きな交差点を越えますが、アヴニ・ルステミAvni Rustemi像のある市場Pazari i riの手前です。)


名前の通り小さなレストランですが、テーブルと椅子の西洋風な部屋と、ソフラと呼ばれる日本の卓袱台のような足の短いテーブルとソファーを備え、約450年続いたオスマントルコの影響を受けた、アルバニアの“食卓“の様子を伝えるとても素敵な部屋とに分けられています。


やはり、ここは多少食べにくくても、アルバニア風(トルコ風)のテーブルで、19世紀後期から20世紀初期の写真や伝統的な食器などを飾った、この興味深い特別な部屋で、アルバニア伝統料理を楽しみたいものです!








名前のODAという言葉アルバニア北部の方言ですが、お料理はラクロールLakror(パイ)に代表されるようにアルバニア南部のものも楽しめます。





親切なオーナーたちが、お勧め料理を選ぶのを助けてくれますよ。


自家製のラキを注文するのもお忘れなく!

2010年1月7日木曜日

世界遺産都市 ベラート

首都ティラナから車で約2時間半(バスだと3時間ほどかかります)の所に位置します世界遺産都市ベラート(Berat)に行ってきました。


ベラートはアルバニアの中央に位置し、標高2400mのトモリ山の麓にあります。この日もトモリ山の頂には雪が積もっているが、厚い雲の裂け目からのぞいていました。


ベラートは何世紀もにわたり様々な宗教・文化を持つ人々が共存してきた平和の象徴のような町だとも言われています。


ベラート城の多くの部分は13世紀に建てられてはいますが、その基礎は紀元前4世紀、アルバニア人の祖先であるイリリア人によって築かれていますし、要塞部分には42ものビザンチン時代の教会(その多くが13世紀建設)や、1417年から始まったオスマン帝国支配下に建てられたいくつかの教会も見られます。


また城内には、16世紀のアルバニア人イコン画家の巨匠“オヌフリ”の優れた数多くの作品などを所蔵する“オヌフリ・イコン博物館”もありますし、何と言ってもこの城内には2500年間絶えることなく人々が生活し、石畳で歩きにくくはありますが、代々ここに暮らす住民たちがここを行き交います。

ベラート城内の様子。 (上下とも)






また“千の窓の町”“浮かぶ町”と呼ばれ、オスマン帝国時代の町並みが特に美しく残るマンガレム地区とゴリッツァ地区はオスミ川を挟み対面するように位置します。一階部分は外敵に備えて防御化され、銃口を出すための小窓が付けられ、2階以上には地理上、得にくい太陽光を受けるための窓が備えら壁は漆喰で塗られた特徴的な建物が、互いに重なり合うように並んでいます。



ベラート城下に位置するマンガレム地区。



夕方にはライトアップもされ幻想的な雰囲気に。




オスミ川を挟んでマンガレム地区の対岸にあるゴリッツァ地区。





そして忘れてはならないのが、おいしいこの地方のお料理!! 皆さんも気に入られること間違いなしです!!



(右から時計回りに、①バルカン半島で一般的なパイのビュレック、②ブドウの葉でつつんだお米料理のヤプラック、③ほうれん草、ネギとトウモロコシ粉の生地の重ね焼きのピスピリティ。)


ペルシェシュ・メ・カポシュ・デティ(七面鳥と七面鳥の風味をしっかり吸い込んだパンのオーブン料理。アルバニアでもベラート周辺の郷土料理です。)