2010年2月20日土曜日

ピラミッドと平和の鐘






人々に“ピラミッド”の愛称でしたしまれているの建物は、1988年に共産党独裁者のエンヴェル・ホジャの生誕80歳を記念に(1985年に死去)、建築家であった娘のプランヴェラさんを中心とした建築家グループによって企画されました。
ティラナに舞い降りた飛行物体がイメージされており、アルバニアの近代建築の印象的な一例となりました。
しかし1991年に共産主義一党政治が倒れたのち、所蔵物も取り払われ、建物自身も破壊されてしまいました。
一部現在、アルバニア最大の民放テレビ局が利用し、また一部は皮肉にも(?)共産主義時代に政治犯として投獄されていたアルバン氏によって国際文化センターとして再生されようとしています。
一方その手前には、写真2枚目のような鐘とモニュメントが設置されています。
これは1997年のねずみ講破たん以降に暴徒化した国民たちによって使用されたカラシニコフなどの薬莢を、1999年北部アルバニアの子どもたちが集め作った“平和の鐘”と呼ばれているものです。
アルバニア語ではこの1997年の暴動を“市民戦争”と呼びますが、この時無意味に発砲された銃弾で多くの人(家の中で危険から逃れようとしようとしていた人でさえ!)が負傷し、子どもたちも危険で学校になど行けなかったと言う無秩序状態にアルバニア全土が陥りました。
平和の鐘は、大通りに面したピラミッドにありながらも、あまり目立ちませんが、是非一度訪れ鐘の下をくぐりながら、当時の様子を想像し、子どもたちの平和への願いを再確認しながら、その後のアルバニアの飛躍的な発展を再認識したいものです。

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