2009年6月10日水曜日

夏到来! 北部への旅!③ ~セシ Thethi 編 ②~








セシ(Thethi)から車で谷に下り、そして山の裂け目のようなところを45分ほど進むとンデリュサ(Nderlysa)と言う村に辿りつきます。


多くのアルバニア人の方も行ったことがないと言われるような、32世帯ほどもつ奥深い村ですが大変素晴らしい景観がみられます。



もちろんこちらでも、冬は平野部のシュコドラで生活し、6月ごろから9月ごろまでをこちらで暮らすという方が、現在は多いようです。


ですので、まさに山を削っただけや踏みならしただけの道しかなく、ホテルなどもなく、親切で泊まらせてくれるような地元の方のお家ぐらいしかありませんが、その手つかずで雄大な自然に心が洗われます。



もっとアクセスしやすくなり、多くの方にこの自然を楽しんでいただきたいという想いと、巨大なホテルなどが建ち観光地化されてしまうのを残念に思う気持ちが入り交ざります。

夏到来! 北部への旅!② ~セシ Thethi 編 ①~

セシはアルバニア北部最大の都市シュコドラからミニバスで4時間半ほどの所に位置する、小さな村です。


共産主義時代にも休暇村として人々が訪れていたために、伝統や独自の魅力が残っていると言われています。



長い冬は雪に覆われていますので、セシを訪れる絶好の季節の到来に合わせて出発です!!





シュコドラから2時間半後に到着するボガという村までは新しく舗装された道が続きます。



それでも道中には車窓からは、岩肌の頂と、ちょうど芽吹き始めた緑をもつ山々の美しい景色が広がります。







しかし、その後道路は徐々に狭くなり、急こう配の舗装されていない九十九折りの道を進むことになります。






対向車があると、冷や冷やするような場面も・・・








しかし、4時間ほど経つと、標高1630mを超える峠を過ぎると、アルバニアン・アルプスの絶景が広がります!!





あと少し下っていくとセシの村に辿りつきます。







雪深くなる冬もこの村で生活することは、ほぼ孤立状態となってしまい困難なので、多くの村民が現在は“冬季はシュコドラで生活、夏季はセシに戻る”という生活をされています。




そのような家庭の何軒かが、6月ごろから9月にかけて村でペンションを開き、国内外からのお客様を待ってくれています。


1908年にイギリス人の作家エディス・ドゥルハム(Edith Durham)氏は、この村での滞在記録に“セシでの生活に惹きつけられていた。・・・世界中の他の何もかも忘れてしまった。私がもとの世界に戻る理由などないかの様に思われた。”と、本に書き残していますが、現在でも同様に、私たちの心を掴んで離しません。





こちらは今回泊まらせていただいたペンションに庭からの景色です。



セシ村の谷を降りて行くと、セシ村の中でも居住者の多い地域になり、小中学校や教会、いくつかのペンションや、村の人々の集うカフェなどがあります。


↑この赤い建物がセシ小学校です。




人口の7割がイスラム教徒と言われているアルバニアですが、オスマン・トルコ勢力もこのような山奥深くまでは支配が及ばず、北部最大の都市シュコドラからこの地域一帯にかけては、キリスト教徒(中でもカトリック教徒)の方が主です。


(*オスマン帝国の支配があってもカトリックが守りぬかれている地域もあります。)



セシ村を囲むようにアルバニアン・アルプスの高い山々がそびえ、またシャーラ(Shalë)地域の北部の標高700~950mのところに広大なセシ国立公園も広がります。


主に谷の底に地域はヤナギやハンノキが、中央部ではブナの森が広がります。
ブナの生息地より高いところは中東欧地域に見られるモンタナマツ(Mountain Pine)や、バルカン半島でもこの地域にしか見られないボスニアマツ(Heldreich Pine)が標高2300mあたりから生息しています。


何千種もの植物がセシ地域には見られますが、その中の約50種は絶滅の危機にある品種だそうです。


植物に関して言えば、オオバコ科のWulfenia baldaccii、フキ属のPetasites doerfleri、ユリ属のLilium albanicumなど、いくつかの品種がセシ地域や、モンテネグロやコソヴォとの国境を越えて横たわるこの山岳地域に特有のものだそうです。


一方、ヒグマ(Ursus arctos)、オオヤマネコ(Felis lynx)、ヤマネコ(Felis silvestris)、タイリクオオカミ(Canis lupus)、シャモア(Rupicapra rupicapra)などがセシを囲むように位置する山に生息していますが、オオヤマネコとヤマネコはアルバニアの高地においても特に珍しいです。

キツネ、イタチ、アナグマ、ヤブノウサギ、イノシシは広範囲に生息しており、急激に減少しているもののカワウソもアルバニア国内の多くの川で見られます。

セシ国立公園では豊富な種類の希少な鳥類も見られます。

シロエリハゲワシやイヌワシ、ヒメクマタカ、ノスリ、ハイタカなどの肉食性が見られ、もう少し標高の低い場所では南ヨーロッパで繁殖しアフリカへ越冬する優美なヨーロッパハチクイ、ヨーロッパアオゲラやアカゲラ、ヤツガラシ、ハマヒバリなどを筆頭に様々な鳥類を見ることができるそうです。

また、アルバニアやその隣国にではまだ見られますが東ヨーロッパでは激減しているキクガラシコウモリやユビナガコウモリ、その他世界的に絶滅危機にある種、南ヨーロッパにのみ生息する種などもアルバニアでは見られるそうです。

絶滅危機種のアポロウスバシロチョウ、ラージブルーなどの蝶や、ヘルマンリクガメ、両生類愛好家にはたまらない、ホクオウクシイモリやミドリカナヘビ、アカガエル、クスシヘビ、ハナダカクサリヘビなど爬虫類にも富んでいます。


まさに今も100年前も人々を惹きつけてやまないセシ地域です。

夏到来!北部への旅!① ~シュコドラ Shkodra 編~




シュコドラは紀元前4世紀に設立されたと考えられており、そこはゲンティ王とテウタ王妃の支配していたイリリア人ラベアテ族の王国がありました。紀元前168年にローマの支配下に置かれ、商業的、マケドニア王国に対するローマの軍事的に重要な位置となるという、大変古い歴史を持っています。






入り口付近には紀元前4世紀のイリリア人時代の城壁部分も一部残っています。写真は1407~1414にヴェネチア人によって建てられたやぐら門。


7世紀前半にはビザンチン帝国のヘラクリウス帝によりシュコドラの町はスラヴ人に与えます。

15世紀にオスマン帝国の支配下に入るまでの、およそ8世紀近くもの間は、モンテネグロの公国に支配されたり、ヴェネチツィア共和国の支配下に入ったりもしました。


最終的にヴェネツィアとオスマンの間で行われた協議により、多くの人がこの町を離れ、見捨てられた町をオスマン帝国が引き継ぐことになります。 ロザファ城内にあった13世紀にさかのぼるカトリック教会も、1479年のオスマン帝国の支配以降はモスクに変換されたようです。



1773年から1853年までは、城塞の建つ丘の東側の、この鉛屋根のモスク(写真中央の白い建物。ミナレットはありません。)を中心にシュコドラの町が形成されていたようです。しかしこの頃から徐々に現在の街の広がる城塞の丘の北側へと機能が移って行きました。





18世紀のシュコドラの人々とロザファ城。



このような複雑な歴史をもつシュコドラのロザファ要塞からはとても美しい風景が一望できます。



手前がブナ(Bunë)川。奥に見えるのは隣国モンテネグロと国境を分つシュコドラ湖。
雪解け水が流れ込む春には、バルカン最大面積を誇ります。


他にもキリ川、シュコドラの街や平野に広がる周囲の村、そして遠くにはアルバニアン・アルプスの入り口となる山々が望めます。


*春から秋にかけての結婚式シーズンにはこんな風に記念撮影の幸せカップに出くわすかもしれません!!