2009年6月10日水曜日

夏到来!北部への旅!① ~シュコドラ Shkodra 編~




シュコドラは紀元前4世紀に設立されたと考えられており、そこはゲンティ王とテウタ王妃の支配していたイリリア人ラベアテ族の王国がありました。紀元前168年にローマの支配下に置かれ、商業的、マケドニア王国に対するローマの軍事的に重要な位置となるという、大変古い歴史を持っています。






入り口付近には紀元前4世紀のイリリア人時代の城壁部分も一部残っています。写真は1407~1414にヴェネチア人によって建てられたやぐら門。


7世紀前半にはビザンチン帝国のヘラクリウス帝によりシュコドラの町はスラヴ人に与えます。

15世紀にオスマン帝国の支配下に入るまでの、およそ8世紀近くもの間は、モンテネグロの公国に支配されたり、ヴェネチツィア共和国の支配下に入ったりもしました。


最終的にヴェネツィアとオスマンの間で行われた協議により、多くの人がこの町を離れ、見捨てられた町をオスマン帝国が引き継ぐことになります。 ロザファ城内にあった13世紀にさかのぼるカトリック教会も、1479年のオスマン帝国の支配以降はモスクに変換されたようです。



1773年から1853年までは、城塞の建つ丘の東側の、この鉛屋根のモスク(写真中央の白い建物。ミナレットはありません。)を中心にシュコドラの町が形成されていたようです。しかしこの頃から徐々に現在の街の広がる城塞の丘の北側へと機能が移って行きました。





18世紀のシュコドラの人々とロザファ城。



このような複雑な歴史をもつシュコドラのロザファ要塞からはとても美しい風景が一望できます。



手前がブナ(Bunë)川。奥に見えるのは隣国モンテネグロと国境を分つシュコドラ湖。
雪解け水が流れ込む春には、バルカン最大面積を誇ります。


他にもキリ川、シュコドラの街や平野に広がる周囲の村、そして遠くにはアルバニアン・アルプスの入り口となる山々が望めます。


*春から秋にかけての結婚式シーズンにはこんな風に記念撮影の幸せカップに出くわすかもしれません!!

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